ドウダンツツジの花が散り終わる頃、その木の下にある「芝」に沢山の花が落ちる。
毎年のことだ、今年だって何度も写真にしている。 芝は去年の秋から刈られていないので、その高さはそれぞれに違う。 そこに花が落ちれば、白い小さな釣り鐘のような花もいろいろな高さで留まる、当然、何の疑問も無くそれらを見ていた。
その中に、「芝の葉先にドウダンツツジが咲いている」ように見えるものがあった。
そんな偶然があるのだろうか、この釣り鐘の口がちょうど芝の葉先にかぶさっている。
上から落ちてきた花が、芝の葉先に? ちょっと信じられない光景に思えた。
どのくらいの確率だろうか、こんなことがあるなんて、信じられない。
どんな角度で落ちて来るか分からない花が、花びらの開いた方向を真下にしたときに、芝の先端があるなんていう偶然、それがこんなにたくさん見える。
偶然、開口部に引っ掛かるなんて、どのくらいの確率だろう。
ところが、ところがなのだ。 これは勘違い、違うことが起こっていた。
ときに、目の前の事実を理解できないことがある。
目の前の事実が受け入れられない。 その意味が分からない。
なんだか騙されているような感覚。
こっちの方が驚いた。 こんなことが実際に起こるのか。
穴に嵌っているのではない、殆どは違う現象だった。
花の向きは関係ない。
上から落ちてきた花を、堅い葉先が貫いているのだ。
殆どは、「芝に突き刺されたドウダンツツジの花」なのである。