「太陽」
星の並んだ形と、そこから連想した「お話」が結びついたもの。 一般的な話として、科学の発達は「神の領域」もしくは「神の隠れ場所」を狭くしてゆく。 しかし、お伽話を科学と考える人はいないし、それが成立した当時の文化を考えるのは楽しみのひとつ。 わたしたちが普段接している星座の話はメソポタミアや、ギリシャや、ローマの神話が多いようだ。
星座の星の並びを音符に置き換えた人がいた。 それは良いのだが、自然が作った音楽だという説明には賛成できない人が多かったようだ。 星座は人間が考えたものであり、自然とは関係がないとも言えるからだ。
確認しておきたいところだが、特定の形を構成しているかのように見える星たちには、殆どの場合、それぞれになんの関係もない。 「現在の地球」から夜空を仰いだときに、「そのように見えている」に過ぎないもの。
それ故に、星座とは特段に人間が色濃く反映されたイメージと言えるのではないだろうか。
天文の専門家たちは星座を使った位置表現を無くしたいかもしれない。 けれど、専門家のことはどうでも良いこと。 都合良く誤解のない方法が相互に認識されるなら、それを使うことが正しいだろう。
しかし、わたしたちにとっては「星空番地の通称、もしくは愛称」として存在しているもの。 そこでギリシャの昔話をしたところで、誰が信じるわけでもない。 それは「ナントカ横町に暮らした美女の恋物語」みたいなものなのだから。
星座にまつわる話を聞けば、星や星座が記憶に残る切っ掛けにもなるし、それがなくなったら、第一に「星占い師」が困ってしまう。
わたしたちは黄道十二宮から自分の星座を特定するし、その主星は守護星のような気もする。 人それぞれに星座にまつわるドラマがあるだろう。 わたしの年代なら「アクエリアス/みずがめ座」といえば、若い頃に流行ったミュージカルを思い出す。 天体の運行が歌詞に描かれていて驚いたものだった。
人生のそこかしこに星座に絡む話はたくさんある。 だから、星座神話は文化として生き延びて来たのだと思う。
「月」