そろそろ新月となる、今月の夜空は「月」の低さに驚かされる。 冷たい春に惑わされたが、夏至も近いのだから。
「月の低さ」は、言い換えれば「太陽の高さ」という意味になる。 理屈は簡単だが、説明は難しい。 そのふたつの天体の見かけ上の公転面の角度が近く、それが昼夜で逆転するからと言える。
月の運行と人々の生活は密接な関係があった。 それは神秘的なものというわけでもなく、暦の無い時代には、月そのものが暦だっただろう。
無人島にひとりで暮らす「あなた」にとって、太陽の観測で夏至と冬至はだいたい分かる。 しかし、単位が大き過ぎる、月単位の時を感じられるのは、文字通り「月」の満ち欠けだろう。 何回目の朔望か、そこから何日目かは数えられる。 朔から望までは15日、半月は分かる、つまり週くらいの感覚が得られる。 そして高さも理解されていっただろう。 身近な暦、それは「ずっと月だった」。
例えば、ラジオを聞くとする。 自分で選曲するわけではないから、他人の趣味である。 それは聞いたことのない曲を聞くチャンスとも言える。 知らない人の知らない曲が流れる、でも、この曲のサビは聞き覚えがあった。 コマーシャルの曲だが、例によって何のコマーシャルだかは覚えていない。 そんなものだ。
4月の終わりから始まった5チャンネルのドラマに、「同窓会~ラブ・アゲイン症候群」という40代半ばの男女の話というのがあるらしい。
個人的にも、ことしは「年齢が重要なテーマ」である。 そうではあるがこのドラマとはちょいと年齢差があり過ぎる。
でも、この年代に人にはチクッとくる話だろう(笑)。
で、そのサビだけ覚えていた曲だが、「斉藤和義」という丁度40代半ばの男性の歌だった。 このドラマと関係あるかないか知らない。 同じように中年男女の気持ちを、30年前にグイと引き戻す曲のタイトル、それは「ずっと好きだった」。