最近の若い者、の話だが(笑)、その指向性については統計がたくさんある。 数字を出して来る話は、いかにもそれが正確のようでいて、実はウソが多いということは、特に、若い人に理解しておいてほしい。 「数字は嘘をつかない、数字を使う人間が嘘をつく」、これは言い古された言葉だが、人は権威に弱いものだ。
正しいことを前提として始まる話には警戒しよう。
20代の女性の飲酒率は男性のそれを上回る、という統計結果を見た。 こんなことは調べようがないのだから断言するのは難しい。 正しく言えば飲酒率の低下が進む中で、男性には減少傾向が、女性には増加傾向があり、現状ではその数値に男女間の大きな差が認められない、くらいのことだろう。
いろいろな言葉が作られては消える、儚く危ういことだ。 「女子飲み」という女性だけの飲酒形態が珍しくないらしい。 男子も「酒は好きじゃない、甘いものが食べたい」というほうが危険の少ない存在に見られるようで、ひとつの望まれる形とか。 男女とも外でも飲むが「家飲み」というものもある。
ここからは個人的な見解。 彼等彼女等が「酒」と呼んでいるものが、わたしには酒に見えない。 酒をことさら「神聖な賜りもの」などとは言わないが、アルコール度数の低い、甘い飲料からは、「何か違う」という思いが芳香に混じって感じられる。 自分を振り返れば、五月革命に憧れてアブサンなどを飲む女性達を見てきた年代だが、強い酒は危険を伴う。
軽く甘くても美しさは追える。 多様な「缶チューハイ」という存在があるらしい、飲んだことはない。 一番疑問に思うのは、実は話の本質が逸れてゆきそうだが、そのチューハイというもの、自分で作る気は無いようなのだ。 それをスナック菓子の袋を破り、そこから摘み、飲み物は缶からそのまま、という家飲みスタイル。
これは理解できない。 酒の色も香りも関係ないらしい。 そんなことで、リラックスしたり気分転換に繋がるのだろうか、と心配している。
もちろん、グラスに注げば、それを洗う面倒もある、ツマミの器も同様だ。 確かに、それはエコではないと言われれば、反論は難しい。 でも、即物的に思える。 意地悪く言えば、アルコールの注射でもしたほうが良いのでは?
あるとき、カルピスの水で割ったものが売り出された、カルピス・ウォーターとかいうものだったろうか。 どう考えても自分で「濃さ」を決めたい、量が増えて保管も面倒、自分の裁量が限定され、直感的に拒否してしまうが、このような商品も実際に売れているようなのだ。 不思議に感じる。 これと缶チューハイには共通点が香ってくる。
いったい、わたしたちは、何をやりたくて、何処へ向かおうとしているのだろう。
最後に、蛇足だがひとつだけ書き添えたい。 酒は好きな人には楽しい時間をつくる。 しかし、生きてゆくうちにわたしたちは病気というものに襲われることがある。 その中には「酒が飲めなくなる病気」もあるのだ。 残念だが治る病とそうでないものがある。 身体は治ることがあるかもしれないが、心が絡むと難しい。
この病だけは一度かかると一生酒が飲めない、というものがある。 若い、飲酒を始めたばかりの人に特に言いたい。 この病気にかからないようにしてほしい。 その病気の名は「アルコール依存症」という。 特に、女性には危険が高いと言われている。