出版した本が増刷されるということは、売れた、ということの証である。
これを機会に、こちらからお願いしたものを含めて、訂正が行われているようだ。
アラタ・クールハンド氏からの取材を受けて、こちらも「家」について考える機会が、
増えたことは確かだ。 この家自身は、それほど面白く出来ているわけではない。
もはや壊されていないハウスは少ないが、昔を思い起こしてみると、「家の配置」などは
重要な意味を持っていたようだし、そのことの方が大事だったのではないかと思っている。
今回はハウスの自動車事情も考えてみよう。
車が置けるのは、敷地やそこに至る私道が広いだけでなく、なにか法則や理念のようなもの
があって、わたしたち日本人が知らない知恵が働いていたような気がする。
車を楽しく使うにはどうすれば良いのか。
つまり、人が楽しく生活するにはどうしたら良いのか、ということだろう。
一戸建てにしろ集合住宅にしろ、それらを「配置する技」を「占領軍」から盗みそこねたの
ではないか。
現在、他人の家を訪問するとしたら、場所を確認して、交通手段を考える。
車で行っても良いか、相手に尋ねたりするが、この質問には快い返事は期待できない。
わたしたちの国は(この先は分からないが)たくさんの車を作り、輸出もしたが、国内でも
売りに売って来た。 言うまでもなく、車は車だけでは存在し得ない。
しかし、車を取り巻く環境と「車」の関係はバランスが悪すぎる。
車はどうしても必要なものというわけではないが、大きくて重い、巨大なパワーがある。
世の中みんなで見張って、トータルにうまく御さなくてはならない。
戦後住宅のひとつの規範である公団住宅がもたらした革新、その最たるものは「食寝分離」で
ある。(この理論を唱えた先生の弟子が、「住居学」の先生だったので何度も聞かされた)
この法則は確かに衛生的な概念が浸透しやすいもので、それはそれで良い。
その他にも、水回りには新しい提案があった。
しかし、公団住宅を代表とする戦後の家々は「家そのもの」に目が行き過ぎたのではないか。
当時の緊急性は理解できる。 余裕が無かっただろうし、そもそも国土の広さが違っている。
医者は病気を診なくてはならないが、その患者という人間全体も見なくてはならない。
そこには、それを為さないことに似た「視野の狭さ」のようなものを感じてしまう。
家も家だけでは存在し得ないのだ。
現在の「日本の家と街」が変わるべきだとしたら、どこで舵を切り直せるのか考えたい。
それは、人口が減り始めたとき。 がむしゃらな開発をする経済力の無くなったとき。
もしそう考えるなら、今そのチャンスが来ているのかもしれない。
わたしたち日本人は都市デザインのできない国民だろうか。 そんなことはないだろう。
戦国時代の歴史が流行だそうだ。 昔は戦渦に堪える防災都市を創って来た。 それを中心に
地勢を考え抜き、「くにづくり」が行われてきたのはご存知の通り。
それは命懸けのくにづくりだ。
人が幸せになれる家とは、どのようなものか。 アラタ氏は古い平屋にそれを見ている。
わたしたちそれぞれも、考えることを止めてはてはならない。 周囲にも目を向けながら。