「秋を封じ込めた冬」を氷でつくってみた 零下4度近くまで気温が下がった「冬至の朝」
12月の初旬に比べると、日の入りの時刻が遅くなっている。 雲がない日には、夕日が
残り、意外な明るさに驚くことがある。 それが「冬至」の近いことを教えてくれる。
東京地方では16時28分くらいが日の入りの最も早い時間帯だが、全国でこの期間は永い。
つまり、暗い夕方の「底這い状態」をつくってしまう。
冬至には、日の入りが既に数分遅くなっていて、夕方は明るさを取り戻しつつある。
「秋の日はつるべ落とし」というが、その逆の状態を経験しながら春を待つ。
二十四節気ではここから2週間ほどの期間を「冬至」という。 そして「小寒」となり、
次に「大寒」となる。 寒さの本番を迎える。
北半球の各地では、冬至の祭りが行われ、太陽の復活を祝う。
この日を新しい年の初めとするなら、天文学的な背景をもって新年を迎えることができる
のだが、残念なことに10日ほどの誤差がある。
クリスマスも、その発生した意味を考えるなら冬至に決めれば良いだろうに、この2日の
差は意図したものか偶然か、もったいない気がしてしまう。
というわけで、気分は一年最後の日。 あしたから新年。「年越し」の話題をひとつ。
時どき話題になることだが、新年に「明けましておめでとう」と挨拶される。
そこでは何が「明けた」のだろうか。 これは、ちょっとした謎である。
新年あけましておめでとう、と言う。 これではまるで、新年が明けたように聞こえる。
「明ける」の意味をどのように考えるかという問題だ。 ある期間の終了を「明ける」と
言うのではないだろうか。 例えば、梅雨の終わりに「梅雨が明ける」などと使われる。
その意味では「2009年が明けて、新しい年2010年が無事に始まり、おめでとう」。
これが正しい意味になると思うが、「明ける」という音に「開ける」みたいな意味も感じ
るから混乱があるのではないだろうか。 日本語は「音」が少ない。
個人的には、
「新年あけましておめでとう」よりは、
「あけまして新年おめでとう」のほうがしっくり来て納まりが良いけれど、如何だろう。
Musik The Sea of Spring