年寄りなので、若い頃のことを思い出して、現在と比べる。 そして嫌われる。?
昔々、例えば、昼ご飯を外食するとして「焼き肉屋」に行ったとする。
お金がないときには、残念ながら、「ロース」を諦め、「カルビ」にした。
そうなると、一日中気分が落ち込んでいた。
時は流れた、でもどうやっても理解できない、現在は立場が逆転しているなんて。
自分が知らない昔のことを例にさせてもらえば、マグロの「トロ」の部分は、
誰も食べる人がいなくて、捨てていたそうだ。
アブラを食べるなんて、江戸っ子のやることではなかったらしい。
わたしもアブラは苦手だ。 四つ足は言うまでもなく、魚でも限界が低い。
どう考えても、アブラ濃くて、甘くて、柔らかいものが、多すぎないか。
何も教えなくても、子供は美味いものを見つける、という言い方がある。
一理ある、しかし、味覚は鍛え育てるものでもあると思う。
21世紀の今、何を美味しいと思うか、または、思えるか、思うべきか。
それを、多くの人々が大事に考えてくれないようだ。
理由として思いつくことがある。
彼等は、自覚はないかもしれないが「たぶん22世紀は来ない」と感じているのでは?
人類の方向転換が無理と感じて、自暴自棄になっているからだろうか。
人は誰でも死ぬ、死だけが平等に与えられている。
それでも、出来る限り、その日まで健康でいたいと願うのは、なぜだろう。
健康でないと、徐々に増える苦しみの中で死ぬことになるからではないか。
死んだ方が楽、と思いながら死を迎えるなんて、誰でも出来るだけ避けたいものだ。
22世紀が来ないと思っている人達へ
自暴自棄を続けることで、死ぬより辛い目にあうことがないよう、お祈りします。
世の中をおかしくしたのが、年寄りのせいだと思うなら、先ずは、選挙に行きましょう。
きょうの夜中には、結果が見えてくるだろう。
こどもの頃、21世紀は「夢の世紀」になると言われ、憧れの気持ちで溢れた。
しかし、20世紀終盤から言われている、21世紀は「暗黒の世紀」になると。
21世紀を作り直そう。 覚醒のときだ。
もし、失敗しても22世紀は来ると思う。
そこに人間が生きているかどうか、それは地球にとっては重要な問題ではない。
しかも、太陽系は銀河の端っこ、全体に何の影響も無い。
人が居なくても、そこで何かが始まるだろう。 地球はまだまだ生き延びる。
Musik 20世紀少年