日本語の音数の少なさから、同じ音の言葉が氾濫する。 そこに洒落っ気を感じて、日本人は同音の言葉を増やしもする。 わたしたちはその昔、当時の先進的超大国から借りて来た記号を文字として使わせてもらっている。
その文字数の多さと、日本人が発音できる音の少なさが、同音で異なる意味の言葉が多いことに関係していると思う。 紅葉と書けば、赤く染まる木の葉と、モミジという意味になる。
木の葉の変化は赤とは限らず黄色も有力。
この変化を、その意味から紅葉とは書けずに「黄葉」と書く。
鉢植えのイチョウ、最後の葉が落ちてしまった。
扇形の葉には、扇の骨と同じように要にあたる部分から放射状に筋がある。 これは葉脈といって良いのだろうか。
ところで、中国では、この葉の形はアヒルの足なのだとか。 かなりイメージが違うので驚かされる。
雌雄異株で、実は雌株に出来るという。 実が生る気配のない我が家の木は雄株ということかもしれない。
我が家では、山椒もオリーブも実が生らない。 ハチヤ柿などは100個は付いていたのに、全てが落ちてしまった。 収穫ゼロ。
「実」には縁遠い我が家の庭。
綺麗な黄葉とはいかなかったけれど、緑の葉は黄色くなって落ちた。