朝起きたら庭が濡れている、夜中に雨が降ったようだ。
アスパラガスに光が当たって輝く。 乾きつつある雨の跡。
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雨が続いたとして、その後の晴れ間の有り難さは想像できる。
そこから連想する節目、折り目、その意味での「ハレ」は分かるけれど、日本では晴れる日の方が、雨の日よりも多い。
みっかに一日が雨だろう。 晴れの日は、雨の日の倍あるのだ。
だから、「晴れ」を語源として「ハレ」というのは合点がいかない(笑)
晴れた日の方が多いなら、どうしてそれが特別な日と考えられるのだろう。
語源が別にあるのではないか、といつも思うところ。