自分で撮ったミョウガの写真って、似たものを他で見ない。
ということは、あまり興味を持って貰えない対象なのだろうか、検索しても少ない。
自分で植えているから、ミョウガのことは少し分かる。 対象物への理解とか愛情などが良い写真を生みそうではあるものの、そうとばかりも言えないと思う。
良い写真を撮るために、対象に関する理解など必要ない場合もあるようだ。
ここが面白いところ。 準備や手順がもたらすモノは知れている、限界がある。
やはり、「ある一瞬」にどのように判断して行動するか。 その先にあるものが、結果として輝きを放つかどうか、なのだろう。
データの獲得が一瞬で可能な写真術fだからこそ。
今年もミョウガの収穫が始まった。 売り物に比べると恥ずかしいほどに小さいけれど、毎年手間要らずに収穫させてもらえる。 これって充分に有り難いこと。
ついでと言うわけではないけれど、過去記事で紹介した「ミョウガの花」、今年はまだ花は見ていないので、ご参考。