やはり、モノゴトを説明する写真は難しい。 気を遣う。 気楽に撮ったものが自分らしく感じられる。 対象を写しているようで、写真は自分を映すものでもある。
誰でも、その人らしい写真を撮る。
写真術をまったく理解していなければ、そのような写真が撮れるし、ある程度理解していれば、画面にその人が現れてくるもの。
だからどの写真も、ある意味で自画像と言えるだろう。
きのうに続いて「岸根公園」の風景。 園内の人工物を入れて撮ってみた。
自分らしいのって、こんな感じだと思う。 でも、それはホントかどうか分からない。
昔から、このテを期待されているのは分かっているのだけれど。
とは言え、これは程度の問題なのである。 無私にもなれないし、「自分というもの」で埋め尽くすこともできないような気がしている。
今、この対象をこの光の中で見て、この設定なら、シャッターを押した瞬間に乳化剤に「このような変化が起こる」というあの感覚が、フォトグラフの楽しみ。
今はデジタル。 こんなものカメラじゃないという人もいる。 今撮るときには、スピードに注力している。 先に考えるけれど、直後の確認は有効。 カメラのモニターの癖を覚えれば、家で見るとどうなるのか想像できる。
シャッタースイッチを押すときには、仕上げの作業予定が目の前に現れる。 jpegなので範囲は限定されるけれど。