テレビって、誰が見ているのか考えてみよう。 現在のテレビは大人のメディアである。 もっと言うなら高齢者のメディアである。 若者の間ではテレビを見ない人が増えているというし、視聴時間も減っているようだ。 最もテレビを見て、それを支えて来たのは現在70代の人たちだろう。
ここで現れて来た傾向は意外なものだ。 この年齢層がテレビから離れつつあるという。 その切っ掛けを与えたのが、他ならぬ「地デジ化」というのは皮肉な出来事。
今更の出費は御免だ、これを機会にテレビを捨てよう。 テレビを見る余裕さえ無い、これが現実の日本の姿でもある。 そんなことにお金は使えないのだ。
食べることがプライオリティーの最上位は当たり前、永年の友であったテレビを捨てることになるとは・・・、地デジ化は誰のために推進されたのだろうか。
当ブログでは「鉄塔物語」という大きなシリーズをスタートさせていた。 直後に発生した「震災」のために中断している。 鉄塔には色々な種類がある。 その中には各地に馴染みのテレビ塔もある。 アナログ波を送り続けた「東京タワー」に代表されるだろう。 それらは地デジ化に伴い苦戦を強いられることになる。
東京タワーも放送に関する収入はスカイツリーに取られてしまう。
アナログの停波は、テレビ塔の大きな収入を失わせてしまった。 デジタル波に切り替えられなかったタワーは、アンテナの設置料が入らなくなるのだ。
「全日本タワー協議会」でも対策に苦慮している。 東京と大阪くらいしか生き残れないのではないかと心配されているらしい。 観光へのてこ入れ、人気の維持、それには地元の大きな協力が必要になるだろう。
地 デジ化はテレビ受像機の完全なる変化をもたらした。 飛ぶように売れるとは、このことだったろう。 しかし、売れた理由のひとつである「テレビの値段」 は、あまりにもひど過ぎる。 こんな低価格で販売することが可能だろうか。 メーカーは作っても儲からず、販売店も利幅が無い。
テレビは形を変え、その意味を変え、生きてゆくだろうけれど、今回の苦労を乗り越え、わたしたちの未来に何をくれるのか。
今のところ、もたらされた果実の小ささに愕然とする。 そしてその実はまだ渋い。
熟れて甘くなる日は来るのだろうか。
さて、その実は誰が食べる?