本当は「神田神社」と呼ばれるべきかもしれないが、撥音「ん」で終わるところがしっくり来る。 神田というくらいだから「神様の田んぼ」があったわけだ。 もちろん冗談ではなく伊勢神宮の「神田」があったところに、宮を建てたというのだが・・・。
平将門の首も葬られているとも聞く、この「将門/まさかど」という武将は関東/東国ではたいそうな存在であるけれど、その他の地域ではその名をあまり聞かない。
神田祭りは江戸三代祭りのひとつとして有名。 この近くの長屋に「銭形平次」が住んでいた、ということになる。
参拝した日に、境内ではレッドカーペットが敷かれ、椅子が準備され、三脚にデジイチが連装されていた。 記念写真を撮ってもらう人が、それ程いるものかと思ったが、それは失礼な勘違いで、当日は結婚式が執り行われていたのだった。
屋根を葺き替え中の建物があった。 もちろん、銅葺きである、低い光を浴びてさんざめいていた。