二十歳を少し超えた頃に、ある先生から「どんな言葉も言い換えられる」と教わった。
それを信じていろいろと書き直しには気を付けている。 言葉の重なり方やリズムなど、諦めないようにしているのだが、才能の限界というものがある。 結果、出来た文章もこの程度にしかならない。
その頃、わたしは大阪に住んでいて、理由は忘れたけれど、「スターにしてあげる」なんて話が近いと思う(笑)、有名な(小説)作家先生と絡みのある関係者に歌のレッスンを受けさせられていた。 ちょっとヒット曲のある作詞家先生とコンビの作曲家先生のところへ通わされた。
そのことはどうでも良いのだが、作詞家先生から、先ほどの言葉を何度か聞かされた。
プロの信念なのだろう。 歌詞は言葉数が少ないから、余計に気を遣うであろうことは理解できる。
(そういう歌に興味が無いので、それは止めさせてもらったが、怖いオッチャンたちにリンチに合うことは、なかった)
で、その先生が、とあるときに「売れない芸人」さん(夫婦漫才)を食事に連れて行ったそうだ。 当時、関西では「mm」(これは頭文字、読み方はミリメートルではない)という庶民的な中国料理屋さんが何店舗も展開していた。
ずっとお腹いっぱいに食べてなかった漫才師の夫婦は、ふたりで餃子を100人前食べたそうだ。 そういうものかもしれない。 こちらも大人になってから、沢山食べて頂くという、似たような経験をしたことがある(笑)
この話は永らく忘れていたのだが、最近「新横浜」へ行って、クライアントの事務所近くで昼食を取った。 その店の名前は、あの店と同じだった。 字も、読み方も。
その名はとても懐かしい名前で、しかも、突然目の前に。 店に入る前から、上に書いた「百人前事件」に連なることが、次々に思い出された。
歳を取ると、このように記憶の世界に生きている時間がある。 たぶん、それではいけないのだと思う。 新しい経験は記憶の底に位置しない、表層にあるものは忘れやすいように感じる。
でも、新しいことを諦めては、実年齢だけでなく中身も「老人になってしまう」、のだろうな。
先週受診した健康診断の結果が出ている筈、話を聞きに行って来なくっちゃ・・・。
Anoushka Shankar & Norah Jones - Easy