「薄皮、取らないんですか? そのまま食べてるんですか? え~?」
産地のエダマメ愛に溢れる人たちは、絶対に薄皮は食べないそうだ。 外のサヤから押し出して無造作に食べるわたしを、哀れんでいるようだった(笑)
そうなのか、あれは「食べてはイケナイモノ」だったのか。
上の写真は、(もちろん、薄皮も)全部剝いてから出汁に浸す「浸し豆/ひたしまめ」。
普通は熟して収穫し、乾燥させた大豆を利用する「浸し豆」だけれど、未熟果(エダマメ)でつくってみた。 ミョウガの千切りも出番。
薄皮を剝くのは大変だ。 剝かなくても美味しいと思える食べ方は、今のところこれしか思い付いていない。
サヤごと焼くのだ。
そもそも、家で湯を沸かしてから畑に行け、というくらい忙しい食べ物だから、産地以外で茹でても、移送時間を考えると価値は低い。
しかも塩水で茹でて、冷水に浸すなんて方法は疑問がある。
最低限、茹でたてを暖かいまま食べよう。 熱いのがイヤなら、置いてそのまま冷ました方がおいしく感じるのだが。
「誰か、冷水に入れて冷やす意味を説明できる人がいれば、理由を教えてください」
冷たいのが良いなら薄皮剝いて冷やした「浸し豆」は如何?
アツアツでも平気なら、「焼きエダマメ」が楽しい。 カニを食べるときのように、全員が静かになる。
その静寂の中、エダマメの妖精が舞い降りて、食卓の上を歩いて行くのが見えるだろう。
例えば料理人が、もしくは調理の専門家を名乗る人が、こうやれば美味しいなんて言うけれど、押し付けられても迷惑。 彼等がこの世の全てを知るわけではない、わたしたちは、自ら試しながら少しずつ歩む。
どれが美味しいなんて言わない。
ひとつのやり方にこだわっては「もったいない」、それだけ。