わたしたちは「侘」「寂」という美の感覚を持っていて、それを好ましく思って来た。 (今は、どうだか知らない) それはなんとも美しいものだが、ところがそればかりでは宜しくない。 その反対の感覚も必要で、大きな振れ幅があればあるほど、文化の豊かさを表していると思う。
これを「美しさの意識」として考えたときに、ふたつの流れを持っているのだろうか。 付け加えられていったもの、または、削ぎ落とされたものと。
同じ道の往路と復路のようでもあり、交わることのない二本の道のようにも思われる。
ここでは和の感覚を輪で表してみる。 寂びと錆はいうまでもなく同じ概念だろう。
きょうのお題、「輪美と錆」。
竹を鉢植えにして輪の根を作ってみた。 それを切り取り、乾燥したもの。
ヒビの美しさに目を奪われる。
グリッドの影の中の錆びた輪。 角と丸。
ギャラントなロココ・ミュージックの時代に、ここまでの表現を獲得していることの驚き。 自然の摂理や人生の全てが描かれているように聞こえて来る。 まさに天才の御技。