どんなものであれ、口に入るまでの道のりは遠いものだが、そこに参加することは「命」を考えさせる。
食べるということは殺すという意味でもあるけれど、家畜の牛や豚が伝染病を食い止めるために殺処分されるそうだ。 飼い主の苦しみ悲しみを思う。 人の口にも届かず、葬られるのだから。
庭のミョウガも凄い勢いで伸びている。 山芋もそのうち手出し無用のお手上げ状態になるだろう。 食べられるものが育つのは嬉しい。 考えてみれば、春の王者である「桜」も本来はサクランボの木の花、いつか実になる花であったのではないだろうか。 命を繋ぐという意味では。
ナツミカンも収穫すれば、実のほかに皮もある。 材料が補給されたことになる。 安心してもっと食べよう。
どうしてもミカンの音楽というと、この曲を思い出してしまう。 実は、初めて記憶に残ったのはイツァーク・パールマンがアンコールで弾いたのを聞いたときだったか。 舞台上の彼は「次はマーチを演奏します」と声をかけた。 当時はそれほどポピュラーでなかったのか、観客の少し驚いた反応を楽しむようにしてから、彼はヴァイオリンを構えた。 元の編曲はヤッシャ・ハイフェッツだと思う。
March from「The Love for Three Oranges」by Prokofiev
ハイフェッツのヴァイオリンで「みっつのオレンジのための恋」から「行進曲」