例えば、隙間無く張られた床に敷いても、本来の効果は無く、ひつの植物性のクッションにしか、なり得ないだろう。 現在では、そのような使い方が多いのでは、と想像する。 我が家にも畳は無い。 アメリカの兵隊にも日本趣味の者は居ただろうから、勘違いで日本イメージを具体化した例は見たことがあるが。
畳の保守管理として、表面のイグサのゴザを定期的に張り替える作業があった。 ときどき、セールスの電話が掛かってくることがある。 こちらはハウスなので畳は使っていません、と答えるしかない。
珍しく外国由来のものではないという「畳」、永い時間を掛けて培われてきた。 気候風土が家も生み出すなら、そこで生まれ育った最高のフローリングだった筈だが、見かけることも少なくなってきた。
木で出来たフローリングよりは柔らかく、傷みも気にしなくてはならないが、やはり消え行くのは惜しい気がする。
実生活で、特段の興味は無かったが、とあるレストランで、靴を脱ぎ、畳の間へ通され、敷かれた絨毯の上に設えた椅子と食卓で、食事を頂いた。 時代劇などで見るシーンだ、南蛮渡来の葡萄酒なんかを飲む様子を思い出す。
散歩しているときには、普段通らない細い道へ入り込むことがある。 すると、開け広げられた家があったのだが、そこは、作業場のように思われた。 食器などが並べられ「自由にお持ち下さい」と貼り紙がされていた。 その隣にボビンに綺麗に巻かれた太い糸があった。 しかも、箱に入ったままで、手付かずの状態。
そうか、ここは「畳屋さん」だったのだ。 廃業することになり、持ち物を処分しているという状況らしい。 もちろん、廃業する理由はまったく知らない。 不幸とばかりは決め付けられないのだが。
少し考え、その糸を貰って帰った。 畳を縫う糸なのだろう、有り難く使っている。 写真は使いかけのボビン2本がテレビの横に置かれていて、それを撮ってみたもの。