次から次に予定があるので、キルトフェスの話も纏めなくてはならない。
これは刺繍されたドレス。 ビーズ刺繍も、もちろん針仕事、ではある。 こういうもの全てを括って「テキ」と呼んでは駄目なのだろうか、自分としては随分スッキリする。 境目を気にせずに済む。 (そう言った途端に、ボーダー柄が頭から離れなくなった)
東京ドームはテレビで何度も見たことがある。 幕で作られた屋根、その内部を加圧して形状を保つ仕掛けだ。 外から見ても同様だが、内部から見て、思いを深くした。 この写真でも分かっていただけるのではないだろうか、これこそは、「日本最大のキルト」じゃないのか? やはり、想像した通りだった。
キルトは、丹念な手仕事により生み出される凄さを、作られる途中から身に付けている。 「千人針」のような重さも感じる。 しかし、その過程(しばしば、それは修行のような)に意味があるのか。 意のままに出来上がった結果としての作品に意味がるのか。 判断しにくい問いかけとなる。
これはスウィスの「ベルニナ」である。 ソーイングマシンについては無知なので、機械自体の説明は出来ないが、ミシンがプロッタに乗っている、ということだと思う。 想像してもらえるものだろうか。
たぶん、X軸、Y軸、Z軸の制御をして、オートマチックまたはセミオートマチックに刺繍させるのではないか。 とてつもなく大雑把に言うと、白人のキリスト教徒には、こういう傾向を感じる。 あながち否定は出来ないが、針を刺す意味の違いを目の前にすると、ちょっと心が立ち止まってしまう。 日本人なら、釈然としない方が多いのではないだろうか。
さて、きのう紹介した金先生だが、その容姿、風格から勝手に先生と呼んでしまった。 彼女のバイオグラフィーを見て驚いた、わたしの方が年上だったのだ。 どういうこと?
Musik 先生の作品から聞こえてきそう 「柳の庭」