よくあるのは、みっつのポイントから顔を連想することだろうか。
これは単純な形態の場合が多いせいか、怖い顔は思い浮かばず、どちらかと
いえば、楽しい顔が見えてくると思う。
どなたも逆三角形の三点が顔に見えた経験があるだろう。これも錯視のひとつ?
ムラサキイモと言ってよいのか、紫色のサツマイモをトーマスした。
それを含んで、いつもの芋三種を焼く。
紫色はイモの個体差もあるし、時間が経つと薄くなったものもあった。
食べた印象としては「ホクホクしていない系」だった。
色を活かした調理法が見つかれば、再度の出番があるだろう。 菓子には面白い。
普段見かけるサツマイモの色は「黄色」、これに対して「紫色」ということは
補色関係にあるということだ。 カラーサークルで反対側の色。
植物の葉には緑色が多い、葉緑素というくらいだからクロロフィルのせいか。
しかし、葉もの野菜などを見ていると、ホウレンソウの茎などで、赤が見える。
物の色とは(人間の)可視光線の中で、その物質が反射した光の色だそうだ。
補色関係には、裏で行われているせめぎ合いのようなものがあるのだろうか。
黄色いイモを見ていれば紫が見えてくるし、その逆もある。
これは錯視のひとつで補色効果、補色残像効果などと呼ばれる。
Musik
形にしろ、色にしろ、人間の見えているものは、かなり不確かだと言える。
「百聞は一見にしかず」というから、聞こえたものなどもっとあやふやなのだろう。
しかし、人が音楽を認識する仕掛けは凄いと思う。 何故、音の羅列を音楽として
解釈できるのだろうか。 人間が後天的に獲得した技術なのか。
美学的に言えば、音楽は「音による時間の表現」ということになるのだが。
ラフマニノフが弾くショパンの夜想曲
Rachmaninoff plays Chopin Nocturne Op. 9 No. 2