きょうは、台風を無視して話はできない。 台風について考えてみよう。
民族の気質、というか、ある場所に関わって暮らしていると、何代も過ぎるうちに共通の
性質が育まれると思う。 共有できる心持ちと言えば良いか。
つまり、逃げようもなく、その土地の風土が人の在りようを決めてゆく。
台風はおかしなヤツだ。昔はどのように捉えられていたのだろう。
突然現れる凶暴な雨風を、古代から近代までの人々は、どのように受け入れ、納得して
きたのか。
富士山の頂上に白いドームが見えていた。 レーダードームである。
映画にもなったので、ご存知の方もいるだろうが、伊勢湾台風の惨禍を座視できない、
その悔しさが、無念さを乗り越えて、天気予報に大きな地平を切り開くことになった。
早く台風を見つけたい、より正確な台風情報を提供したい、その熱烈な意思の結晶だ。
しかし、それ以前は・・・?
何千年か、この島国は秋になると、突然に現れる嵐に悩まされ続けたことだろう。
急に現れ、一日の我慢で、それは過ぎ去る。 災禍を残すものの、恐ろしい時間には
限度がある。 我慢の範囲だったかもしれない。
否応無しに受け入れざるを得ないのだが、日本人の心に大きな影響を与えたのは、
我慢の時間よりも、それが通り過ぎたあとの景色ではないのか。
つまり、翌日の「馬鹿みたいな晴天」の影響を考えると興味深い。
その青空を、どのように受け止めたのだろう。 例え、作物が全滅したり、家族が
命を落とした悲しみがあっても、雨風は止み、空には抜けるような青空がある。
それは不思議な時間だと思える。
この積み重ねが、日本人の心に影響しないわけはない。
危機を管理できないままに、災害を受け入れる。 しかし、その後の空は青い。
もし、考えも及ばないような災害に襲われても、一晩だけ目を閉じて身を伏せていれば、
あしたには青空が見える。 次第に、危機に対応しなくなるのではないだろうか。
日本人の危機管理能力欠如が言われるとき、この歴史を考慮しなくて良いものか。
当地、きょうは午後から晴れた。 後に風が吹いたが、嘘のような晴れのもとでは、
その風は台風のオマケに過ぎない。
不断の準備より、身を屈めて我慢する。 こちらを選びそうな気持ちと、未来の日本人は
どのように付き合い、折り合いを付けてゆけば良いのだろうか。
日本人の危機管理は変わってゆくべきだと思うが、災害に強い家や街は、未来の日本人に
新しい感覚を与えてゆくだろう。
それが、何事に対しても、より強い先手を打つことに繋がってゆくことを、期待しよう。
Musik
夜中はこんな感じだった。ロンドンのアールズコートでのライブ。1994年。
Pink Floyd - One of These Days