Jacqueline Kennedy Charms at Inaugural Ball 就任舞踏会でのジャクリーヌ
他人の容姿について、あれこれ言うべきではない。 しかし、例外はある。
その人が、己の姿を見せることで利益を得ている場合、お金を稼ぐとか・・・。
その意味ではショービズ系には意地悪な視線が注がれる。
スポーツ選手になると、少し様子が違うが、やはり彼等も身体が勝負。
絶えず、裸で現れる人は少ない。 それは人ではなく、動物というものだろう。
そうなると、我々は衣装で身を包み、他人の視線を浴びる。
ファッションのセンスというものが取沙汰されることになる。これは厄介な問題だ。
政治家のパートナーは難しい立場にある。 日本に女性の首相が誕生したとする。
亭主は何を着て、どう振る舞えば良いのか、頭の痛いことだろう。
多くの例は、この逆のパターンだ。 ファーストレディは厳しく注目されている。
ファーストレディの服装は、大きく偏ってはならない。 non tanto が大事。
何といっても、ジャクリーヌの人気は未だに絶大だ。 悲劇のヒロインでもあるが。
彼女は特別に美人ということではない、と思うが、あの魅力は何だろう。
頭が良くて、センスが良くて、基本的なことは家庭で身に付けていて、度胸とユーモアが
ありそうな奥深い魅力。
大統領夫人ともなれば、その魅力を最大限に引き出すチームが結成され、万事に目を光ら
せているに違いない。 だが、着せ替え人形では居られない。
マスコミはいろいろな罠を仕掛けてくる。 カメラは細かいことも見逃さない。
現大統領夫人、選挙中からその姿を見ていたが、個人的に理解し難いものを時折感じる。
大柄なことはマイナスではない。 現代では、強さも欲しい。
言葉にするなら、立ち居振る舞いにもう少し魅力が欲しい、とでも言おうか。
身体の姿勢とか、所作の問題だろう。
否応無しに国家を代表する仕事に就いているわけだが、もう少し自覚を願いたい。
よその国の元首夫人について、あれこれ言って申し訳ないが、彼女は大スターなのだ。
史上初めて、安保理の全会一致で「核のない世界」へ向かって動き出した。
この目出度い日の新聞に、それをリードする夫の足を引っ張るニュースは残念に思う。
ラフな格好でも構わないが、ならば、どのタイミングで写されても良い「身体と動き」を
手に入れてなくては。 ドレスアップしたときにも必要だからね。
がんばれ、ミシェル! 世界平和のために、胸を張って歩いてください。
Musik Michelle