我が家が「よそ様の家」と違うところは、少なくとも、ふたつあると思う。
ひとつ、玄関ドアが内側に開く。 外に開くのは訪問者に危険で、失礼では?
もうひとつ、家の中で靴を履いている。 もちろん、脱ぎたい人は脱げばよい。
訪問先で、「靴のままどうぞ」と言われれば、家に入る前に自分の靴の状態を確認
するのは当たり前。 客が汚せば、掃除するのその家の住人だ。
そんな簡単なことに考えが及ばないとは思えない。
靴の汚れを落とす仕草をする人は、センスの良い人だ。
ところで、わたしたちもよそ様の家を訪問することがある。
「玄関」で靴を脱ぐと、「どうぞ」という言葉と共に「スリッパーズ」が登場する。
みなさんは違和感無くお過ごしかもしれないが、これはどういう意味だろうか。
訪れた客の足が(靴を履いていたにもかかわらず)汚くて、家が汚れそうだから?
お客様の綺麗な足が、掃除の行き届かぬ家のせいで、汚れると申し訳ないから?
このふたつが理由なら天を仰ぐしかない。 もうひとつ考えていることがある。
いわゆる「洋服」という衣装が、「靴」無しに成立しないのではないか、ということ。
それをなんとなく、わたしたちが感じているのではないだろうか。
あなたは衣装をを決めるときに、靴だって考えて選ぶ筈だ。
いや、むしろ、靴の方が重要かもしれない。 その日の衣装の土台である。
それを外されては、どんなオシャレな服でキメていても、それは台無しというもの。
成立するのはレアな状況でしかない。 裸足で良いのは「伯爵夫人」くらいのもの。
ハイヒールを脱いで、手に持ち、駆け出すなんてことが、過去にあったとしたなら、
よほど、素晴らしい場面か、さもなくば、それは危険で悲惨な状況ではないか。
そのくらい、靴は重要なのだ。 常に履いていなくてはならない。
だから、スリッパーズとは、「履物が無いという何だか落ち着かない状態」を、
仮に解決するものなのか。
ともかく、ここであげた理由に、なんらかの商業的な理由が絡んだのかもしれない。
自分が風呂上がり等に履くのは当然としても、客に履かせるのは面白い習慣では?
そもそも、日本の家は靴を脱いだり履いたりするのに適さない構造だ。 靴が傷む。
この習慣と、「外側へ開くドア」が表裏を成すことは、もうお気づきだろう。
それにしても、考えるほどにスリッパーズの謎は深まってゆく。
公園では靴を脱いでもよい。
ニール・サイモン作「BAREFOOT IN THE PARK」
ふたりとも若い。 それもそのはず40年以上前の映画だ。