ここ何年も「トウモロコシ」を食べていない。
よく考えれば親戚の家でひとかけらだけ、食べただろうか。
なぜ食べないかと言えば、口に合わないから、というしかない。
こどもの頃から、好きでも嫌いでもなかったが、最近のものは、まったく美味いと
感じられなくなってしまった。 甘すぎるのだ。
この甘いトウモロコシから食べ始めた人には、生で果物のように食べられることは、
夏の贈り物かもしれないが、食を楽しみにしている者のひとりとして、これでは、
くだらなく甘過ぎる、と思っている。
しかも、その傾向が年々強まっているようで、心配になってしまう。
数年前に、畑を持つ人から「モチキビ」というものを、人を介して分けてもらった。
これには大いに満足した。 いろいろな種類があることは、有り難いことだ。
ただし、全員揃って甘味を追求するのは、おかしくないか。
生産者も消費者も、糖度しか基準がないのだろうか・・・。
もちろん、感じていらっしゃるだろうが、これはトウモロコシだけの問題ではない。
農作物の甘味指向は行き過ぎていると思う。
日本語として「うまい」と「あまい」は近しい言葉のように感じる。 しかし、
何にでも本来の味があり、丹念に時間を掛けて育てられてきた。 より美味く、
より大きく、より強く育つように。 リンゴはリンゴの味、ミカンはミカンの味、
それそれに特徴があるから、大事にされ、育て続けられた。
何を食べても、砂糖漬けのように甘いばかりでは、豊かな食生活とは言えない。
これが時代の望むものなのか。「こーんなコーンに誰がした?」
チャールズ・アイヴズ(1874〜1954、アメリカ)は、なかなか面白い作曲家だ。
彼は自作の評価を、評判にとらわれず個人が自らの価値観で判断せよと言った。
彼の言葉が残っている。「大人のように自分の耳を使え」。
これに、乗っかってわたしも言おう。「自分の舌を使え」と。
Musik The Unanswered Question