それは1827年3月26日のこと。
高名なピアニストにして、大作曲家が亡くなりました。
理由は、直接には肝障害かもしれませんが、正しくは分かりません。
有名なものとして鉛中毒説があります。
髪の毛から高濃度の鉛が検出されたことは、事実のようです。
当時のワインには甘味料として酢酸鉛が用いられていた・・・。
彼はトカイ・ワインが好みだったと書いてあることが多いですね。
ラインだってモーゼルだって飲んだでしょう。
何れにせよ、飲み過ぎは体に悪かったと思います。
彼の人物像は、あれこれ言われていますが、葬儀に万を越す人が参列したと言います。
つまり、人々から愛されていたのではないでしょうか。
彼を送った曲はモーツァルトの「レクイエム」であったとか。
今では、彼が生まれ育ったボンの街は八重の桜に彩られるそうです。
写真は、今年の我が家の桜。 (2月の河津桜)
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