富士吉田へは箱根の関所を越えたわけではないけれど、通り道なので見学。
芦ノ湖の南端に関所は位置している。
山側は柵が巡らされ、東西のボーダーとなっていた。
聞いた話ですが・・・、ご参考迄に。
この「関」の東にある関八州を「関東」と言ったらしい。
必然的に西側を「関西」と言ったのだとか。
大雑把すぎると思う。 後に関西のイメージが変化したのではないか。
言葉の意味は時代で変わるから。
常駐の大きな軍隊があったとも思えない。
箱根駅伝の選手なら走って越えられそうだけれど、当時の道は険しかったのだろう、
何と言っても「天下の険」と名高いのだから。