丸目の顔たち
丸目というと、「丸目蔵人/まるめくらんど」を思い出す。
16世紀の剣豪で、天下一、少なくとも九州一の使い手と言えるだろう。
「新陰流」を学んだ後、自ら「タイ捨流」を名乗り、流祖となった。
突拍子もないことを書いているのではないですよ(笑)
「タイ捨」、というのは「タイ」を「捨てる」という意味。
で、その「タイ」の部分は色々な字を当てる、
だから多様な意味として成立するのですが、
要するに、雑念を消すということらしい。 無になる。
これは、写真術における撮影の極意のひとつと考えています。
撮ったことさえ覚えていない、という境地。
自分としては「ここに近づきつつある」、という実感があります。
それは、老人性痴呆のせいかもしれないのですが。