市内に「清岩院/せいがんいん」という寺があって、何度か行っている。
実は、母方は「清水」姓、父方が「岩本」、なので、なんとなく親しみが湧く。
父上、母上、63歳の誕生日となりました。
牡丹の花が残っていた。
こんなに大きな花を支えるほどの茎には見えないけれど、その見た目の不安定さも、美しさの要素かもしれない。 人々は、そこも含めて愛でていると思う。
この花は華やかで綺麗だけれど、盛りを過ぎた花が殆どだった。
整った美しさと、乱れた美しさがあると思う。
咲き誇ったところが、折り返し点。
小さな「桜の花」が散るのは美しいと言う、大きな花が散るのも仕方の無いこと。
その激しい様子に狼狽してはいけない。
そこだけ見れば儚いものではあるけれど、形を変えて、また出会えるもの。