シリアという国で、首都のダマスカスに次ぐ大きな都市。 その名に関わるものは、我が家には、この写真の「石鹸」しかないけれど。
冷静さと情熱が見て取れる彼女の目、落ち着いて優しい声と話し方。 親から受け継いだ報道の使命を感じていたのだろう。
戦場は相手の嫌がることから実践される。 死はそこに在る。
わたしが産まれた頃、朝鮮戦争が始まった。 新聞記者だった父は、その取材に行こうとした。 周囲は猛反対、なんとかその思いを抑え込んだ。
わたしは産まれたばかり。 父親の無い子になったかもしれない危ういところ。
父から、小学校に入るころには、家の障子の写真を撮らされていた。
縦横にブレずにシャッターを静かに押す練習である。
「夜明けに霜の降りるが如く」が口癖だった。
アレッポで亡くなったジャーナリストにも、社会や個人に「伝えておきたいこと」が沢山あったと思う。 それは道半ばとなってしまったけれど・・・。
きのう、彼女は箱に入れられて日本へ帰ってきた。