あるときから不思議に思っていることがある。
わたしの名前は「芳樹」という。 この名で、「生まれ年」が違う人は、もちろん居るけれど、なんだか同い年に多いような気がする。
永く調べているので見当は付いている。 たぶん、こういうことだろう。
ここで、小川 琢治(おがわ たくじ/1870年6月26日 - 1941年11月15日)氏に登場願おう。 彼は和歌山県田辺市出身の地質学者、地理学者。 つまり、学者様である。
彼には優秀な息子さんが5人も居たのだ。 残念なことに五男さんは、第二次世界大戦で戦病死なさった。
さて、ご長男さんである「芳樹さん」は冶金学者。 同名である。
次男さんの「貝塚茂樹さん」は東洋史学者。 三男の「湯川秀樹」さんは、物理学者。 四男の「小川環樹さん」は、中国文学者。 苗字が違っているのは婿養子に出たからだろうか。
三男である湯川秀樹氏がノーベル賞を受賞したのは、わたしが生まれる前年。
わたしの父の名は「芳久」という。
この「芳」の字を貰ったことと、小川家の「樹」の付く優秀な子供たちのことが頭にあったと思う。 それで、長男のわたしに「芳樹」と名付けたのだろう。
しかし、それを父に確かめる機会のないままに、彼は昭和に殉じるかのように、さっさと逝ってしまった。
たぶん、わたしに近い年齢では、「樹」のつく名前が多いではないかと勝手に想像するけれど、実は同級生などの名に、特別思いあたることはない。 こちらが気にしているから敏感に感じるだけなのだろうか。
「ヨシキ」という名を聞くと、彼の年齢を知りたくなってしまうのだ。
そして、きょう、もう来なくても良い誕生日がまたやって来て、「K+2」になった。
毎年この日に必ず咲いてくれるツツジ。