この電車に乗っていた頃を思い出すと、外観もしっかりは見ないし、運転室なんて中に入ったこともなかった。 だから当然のように、何といっても客室が懐かしい。
当時は、東京ー大阪間を3時間10分で結んでいた。
この「普通車」は、最初は「2等車」と呼ばれていたかもしれない。
(もっと昔は、2等車のことは、3等車とよばれていたような気もする)
日本には「機械遺産」というものがある。 日本機械学会が国内の物件を認定する。
Mechanical Engineering Heritage、歴史的に意義ある「機械技術関連遺産」を保存し、後世にその存在と意味を伝えるもの。
もちろん、この「0系」は選ばれている。 当然だと思う。
認定遺産のファイルを見ていたら、個人的にもっと懐かしいのは「YS-11」だった。
あの、「バスに羽根が生えた」ような、ターボプロップ機。 大きさは、見て頂いたこの新幹線の先頭車より、1m15cm長いだけ。 ほぼ同じ大きさであるとも言える。
(尚、「機械遺産」には、オリンパスの内視鏡も選ばれている)
「0系」の動態保存は無いと思うので、どこでご覧になっても静態保存。 屋内展示されたものはもっと綺麗だと思う。 「出会う機会があれば、ひと声掛けてやって欲しい」、そう書けば、感傷的に過ぎるだろうか。
「0系」の話題は、ここまで。