若い頃の10年間くらい、音楽に関わることで生活していた。
仕事で関わった最後はライブハウスのブッキングマネジャーだった。 アメリカの兵隊もたくさん飲みにくる。 それなりの音楽が必要になる。 サイゴン陥落が75年、その後のことなので、息苦しいという時代ではなかった。
でも、なんてったって「ロックンロール」は必要。
酒の場での些末な話だが、わたしは日本人と腕相撲をしてもそれほど負けなかった。
記憶しているのは極真の三段を名乗る人に勝てなかったこと。
ところがアメリカ兵にはまったく勝てなかった。 アメリカ国籍とはいえ民族的には何人だか分からない。 でも勝てない。
彼等は手を握り慣れている。 わたしは握手なんて好きじゃない。 力を入れて握手しないので彼等はいつも怒っていた。
あるとき店で、オーナーから、客を紹介された。
暗いし、見ただけでは分からなかったが、紹介されたその名にビビった。
それは恐怖ではなく、畏敬の念。 尊敬の気持ちで心は最敬礼した。
差し出された手を握った、勝手ながら今度は感謝を込めて。
あんな手は見たことも触ったこともなかった。 真に強い人は優しい手をしているとも言うけれど、彼の手は違っていた。
あれは人間の手じゃない。 「岩」だった。 握れない。
彼はひとつ歳上にあたる。 父親はいわゆる黒人の兵隊さん、母親は日本人。
ファンが知るその名前は、失礼ながらちょっとつまらない。 もっと良い名があったろうにと思うし、日本人として申し訳ない気持ちもある。
彼は、元・東洋ミドル級チャンピオン、元・世界ミドル級1位、「カシアス内藤」。
右手に残る思い出の人だ。
現在は癌と闘いながら横浜にジムを開いて後進を育てている。
彼の師であるエディ・タウンゼントとの約束を守って。
内藤氏の息子は有名なボクサーである。
高校三冠を達成し、ロンドンオリンピックの有力な候補だった。 しかし息子はプロへ進む道を選んだ。 先週、プロテストを受験、そして合格。
息子さんの名は「内藤律樹」、勝手に「リッキー」と呼んでいる。
もっと若い頃、このアルバムは超が付くほどのお気に入りだった。
このマクラフリンのギターには衝撃を受けた。
映画音楽 「A Tribute to Jack Johnson」 (1970) より
(尚、ジャック・ジョンソンは黒人初の世界チャンピオン)
写真は「写真集『カシアス』」の表紙
内藤利朗:写真 / 沢木耕太郎:文 / スイッチ・パブリッシング刊
御参考 「E&Jカシアス・ボクシングジム」