どうやら、
基本的な生活を営むために必要な「インフラ設備」の意味で使われているらしい。
「生命線」の「生命」と「線」を置き換えたものと推測できる。
これって、耳障りな言葉では?
憂鬱なニュースが続く。 余震も気が滅入る。
普段なら許していることにも、過敏になってしまう(笑)
いろいろなことに苛立つことになる。(その言葉、変だぞ、とかね)
こんなときには「ヨウ素」じゃなくって、「カルシウム」?
とにかく、「ライフライン」は使いたくない。 とは言いつつ、相手によっては使わざるを得ないこともあるだろう。 相手に合わせることも大事だから。
そのインフラストラクチュア、重要な公共設備のひとつが「電気」ということになる。
停電があるということで、電池は売れに売れたのではないだろうか。 ロウソクだってかつてない売り上げだったのでは?
使われない電池が、家のどこかに永く置かれ、液漏れして大量に捨てられることのないように祈るばかり(笑) 災害時のために用意した電池は、ある意味で保険のようなものだから、使わずに捨てるということも許されるのだろうか。 難しい問題。
たまにはロウソクも使ってみれば良いだろう。 庭でお茶するときにも使っていたが、今は電気を使えるようにしてあるので、出番が少ない。
(我が家では、行灯はたくさん作って用意してある、趣味のランタン作り)
魔法のランプ(写真-1)を点けて、アミを抱っこしてモーツァルトでも聴こう。
気分を落ち着かせなくっちゃ。 アミはバッハの方が好きなんだけどね。