きのうの天使について、実は全く違うイメージを持っていた。
日の丸が描かれた扇の要に、元旦(元日の朝という意味)の光が射している風景、そんなイメージを持っていたのだが・・・、天使になっていた。
冬の低い太陽が作った偶然の景色。 食卓の上、紅茶がグラスに入っていて、そこに日が差した。 たまたま、先日結婚した横浜の甥から、式の最中の写真が送られてきていて、その封筒に模様を映し出していた。 例の女性フォトグラファーの撮ったもの。
こういう景色は、目で見たものと写真との差があるので、モニターして、カメラと相談しながら進む。
人間の目は、とても小さなポイントにしかピントを合わせて見られない、しっかり確認できない。 これが写真になると、遥かに大きな範囲にピントが合う。 家の中など写すと、そのゴチャゴチャ加減に卒倒しそうになる。
人は勝手なところを都合よく見ているだけ、目はそんな仕掛けだ。 ポイントの小ささは容易に理解できるけれど、その被写界深度の違いも面白い現象だと思う。
例えば、水面を撮影すると、その表面を見ていることが多いけれど、そこに写り込むものにも、カメラは反応できる。 水面に木の葉が浮いてるとして、それを写すと遥か遠く1,000m以上離れた空の雲などが写り込む、慣れないと、それには後から気がつくだけ。 パンフォーカスと言っても良いかもしれない。 人間の目には苦手な状況。
もうひとつ例をあげておこう。 「一番星の見つけにくさ」の説明というものがある。 漠然と闇夜を見たときに、人はそれほど遠くにピントを合わせられないそうだ。
15mくらいの距離ではないかと聞いたことがある。 危険を察知すべき距離かもしれない。 星は殆ど無限大の距離にある、視野に入っていてもその距離にピントが合わせられないというのだ。 確かに実感できる話である。
話戻して、この写真のように光と影だけがあると、人はどこをどのように見るか、見当がつかない。 見た雰囲気とは違うものが写る例だから、1枚撮れば、あなたの写真システムの考え方が分かる。 そんな話し合いの積み重ねが、より良い1枚に繋がると思う。 その話し合いが楽しいのだ。
道具との付き合いとは、そんなものだろう。