十干十二支の「干」ではなく「干す」ということ。 「ほしごよみ」の話。
干すことは「風仕事/風しごと/かぜしごと」とも言う。 太陽と風の産物。
一年中、そのときどきに合わせて、それぞれの地域に干すものがあるようだ。
何も干したことがないとしたら、それはちょっと、もったいない気がする。
干すという行為は、手間は掛かるが、お金は掛からない。 干すということは、乾燥させるということではあるけれど、正確には含水率を下げるということだろうか。
なぜ干すのか、という疑問があると思う。 歴史的には、水分が少なければ腐りにくいので、保存のためだった筈。 収穫は爆発的に始まることがある、有り難いことではあるけれど、一気には食べられない。 食料を手に入れることと、それを保存することは、食べ続けてゆくことの両輪ではないだろうか。
干すことは「調理」でもある。 調理の原型は「食べられるものに変化させる」ことだったと考えられる。 干し柿など、とても分かりやすい例。 だから干すことは、保存することと、美味しく食べることの両方の意味を持つ場合もある。
この秋は、良い大根が適正な値段で手に入らないので、我が家定番の「干し大根」が昨秋のように作れていない。
一日で乾かせないときは、夜になったら取り込んで次の日に干す。 夜中に家の中で見た大根が美しかったので写してみた。 1枚目と、この写真。
大根と並ぶ定番、「煮干し豆」
朝日を浴びる「干し柿」
最近の挑戦、「干し牛蒡」
ショウガを干すことは考えつく。 普段は摺りおろして、小分けにして冷凍してある。
しかし、加熱か乾燥によって、身体を暖める成分が出来るらしい。
で、この乾いて小さな切れ端を醤油に一晩漬けてみた。
「ショウガ醤油」というものがあるけれど、その作り方とはかなり違う。 とは言え「新型のショウガ醤油」を目指した。
お試し気分だったが、これがあまりに美味くて、久しぶりに泣いた(笑)