視覚情報の伝達能力には驚くことがある。 どちらが優れているというわけではなく、例えば、小説家が10ページをもって情感豊かに描いた景色も、映像なら0.5秒で伝えられるかもしれない。 言葉で聞いた「伝聞」より遥かに素晴らしい伝達能力、それゆえに「百聞は一見にしかず」というのだろう。 見ていても、何も見出せないときもあるけれど、1秒に満たない時間で、人生の綾なす時間の絡み合いが覗けるときもある。
車で移動中だった。 次の交差点を左折する予定、左側に気持ちが移っていた。 それはスローモーションではないのに、事細かにいろいろなものが見えてしまった。
ストライプのシャツを着た、現状では出来得る限りに服装を整えた、と思われる中年男性が立っていた。 今ではあまり見かけない紙のバッグを左手に提げているのが見えた。 彼は門の所で丁寧に深々と頭を下げた。 その口元は「お世話になりました」と言ったように見えた。 彼はこれからどうするのだろう。 バス停はある。 迎えの人はいないようだった。 家族はいるのか、帰るべき家はあるのか。 背筋を伸ばした彼の姿から、疲れと影は見えたけれど、曇りは感じられず、それが救いのように思われた。
ここには最近話題になった「刑場」は無い筈だ。 しかし、いろいろな立場の人たちが深い思いを持って、ここで仮の暮らしをしている。
車窓から見えた一瞬のドラマ。
クルマは「立川拘置所」の前を過ぎて、市役所の角を左折していった。
Arcangelo Corelli : La Follia