冬季五輪が始まった。 開会式は予想よりも興味深いものになった。 ベイジンでは盛りだくさんで消化不良を起こしたが、今回は落ち着きが見られたし、意外な展開に感じられたところもある。
「民族の融和」を主題にしているというが、それを表現したものだったかもしれない。
カナダで最高の音楽家は、個人的には「ジョニ.ミッチェル/Joni Mitchell」だと思っている。彼女の40年くらい前のヒット曲が流れた、そのとき、少年は宙を舞い人生の多面性を垣間見せた。 静かで感動的なシーンだったが、スポーツの大会が開かれようとするときに選ばれる曲だろうか。 邦題は「青春の光と影」である。 競技が始まれば殆どの選手は敗者となるが、それを連想させる音楽だ。 思慮深い大人の選曲、演出というもの・・・?
曲の意味は、殆どの場合、最後の歌詞に現されるだろう。 意訳だが、
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人生をふたつの面から見てみた、勝ちと負けから。 それが、どうにか精いっぱいのこと。
人生は幻想のよう。 それがどんなものか、本当はなんにも分からない。
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開会式は進んで、もっと驚くシーンに出会った。
先日、1月12日にこのblogで紹介したレナード・コーエンの「ハレルヤ/Hallelujah」である。
あのリサ・ロイスの歌も素晴らしい。
コーエンもカナダの天才と言うべきだろう。 まさに才能豊か、1934年生まれで未だ現役。
この曲を会場で演奏したのは「k.d.lang」(この表記が正しいと思う)。 デビュー当時から、頭が良くセンス溢れる音づくりと感じたが、あるときに自ら同性愛者であると告白した。 保守層との軋轢に苦しんだと思う。 その後は独自の道を歩み続けているようで、活躍の様子が聞こえてくる。 パフォーマーとしての実力は開会式の様子でご覧の通りだ。 この名曲にこの歌唱、圧倒的な演奏となった。
この曲も、先ほどの曲以上にスポーツと結びつけ難い。 これも違和感を感じた。 説明しなくてはいけない。 その違和感とは、自分の心情としては、まさに的確、正しい選曲に胸打たれているという意味だ。 そんなことがオリンピックという、ある意味、商業や国家などのパワーゲームの場で目の前に展開されるという違和感なのだ。
そういう時代なのだ、そういう時代になったのだ、ということだろうか。
この曲も最後のところを訳してみよう。
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わたしは最善を尽くした、しかし充分ではなかった。 感じ取ることができなかったので、触れてみようとした。
たとえ、すべてがうまくいかなかったとしても、わたしは真実を語ったし、あなたを馬鹿にするために来たのでもない。
「歌の神」の御前に立つことがあるなら、わたしが語れる言葉はハレルヤしかないだろう。
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ハレルヤはヘブライ語だと思う。
キリスト教の中に生き残っている言葉だが、わたしたちにもその意味を感じさせる。
主を褒め称えよ。 競技がが終わった後に出てくる言葉「ありがとう」に置き換えたい。
歌が終わった後、演奏者と観客の間を感謝の気持が行き交う。