フェンスの上、結露が凍って朝日を反射。
あと、ひと息だと思う。 あさっての朝まで冷えるらしい、そこからは、行きつ戻りつしながら春になってゆくだろう。 北から仲間を呼んできた冬将軍、その最後のひと暴れのように、朝晩は厳しく冷え込んでいる。
元日に海開きをするという東京都小笠原村、その反対に5月の連休までスキーの出来るところもある。 日本は広く各地様々だが、関東では太陽の高さは、冬至で約30度、夏至で約80度くらいになる。 その50度という角度を半年かけて上下(昇降)する。 立春を過ぎ、太陽高度は40度に近づいてきた。 建国記念の日に40度を超えそう。 そして、日の出は毎日1分早くなり、日の入りは毎日1分遅くなっている。 つまり、季節は春。
気温にはディレイが掛かる。 遅れて穏やかに移行する。 海と大地と空気が変化を和らげてくれるのだ。 小さな空間で考えるなら、奈良の正倉院が良い例ではないだろうか。 子供の頃には、校倉造りの壁が湿度によって膨張収縮を行ない、雨が降ると外気を遮断するなどと教えられた。 気分としては「馬鹿も休み休み言え」くらいのものだった。 そんなことはあり得ない、出来っこない。
意地悪く証明を求めるなら、正倉院を水に浸けてみよ、と言うしかない。 内部の空気が保持されるなら、水は入って来ないだろう。 密封がどのくらい大変かは自分で試みれば分かる。
逆に、乾燥して隙間を作るというのも難しい。 絶えず加重が掛かっている。 永い時間と共に、収まるところに収まっている状態だろう。 小さな変化と大きな変化を繰り返し、静かに息をしている建物。
正倉院の素晴らしさは、気候条件の変化が緩やかであることではないだろうか。 外部の湿度が100パーセントなら、内部もいずれはそうなるだろう、しかし、変化が緩やかなら、建物も内部の収蔵品もダメージは少ない。
つまり、これは人にも当て嵌まる。 わたしたちは、いろいろなものに護られている。 どうしても、普段の生活では忘れがちになるが、思い出さなくてはならないものは、たくさんたくさんあるのだ。
昼になれば、太陽は随分高いところに見えている。
2個目のフキノトウが開いた、小さい。
思い込みかもしれないが、冬よりも柔らかく見えるお天道様の光。