それは「節分」と「こどもの日」。 あるときから「恵方巻き」というものが知られるようになったが、それにはそれの決まり事があるらしい。 きのうがヒイラギとイワシとマメだったように。 巻き込まれる「具」には、それぞれに意味を持たせているのだろうが・・・気にしない。
今回のお試しは、酢に「赤梅酢」も使われていることだが、色が残っていて少し赤い。 実はこれが、不思議なことで、今まではすぐに色が消えていたのだ。 理由は不明。
自分が巻き寿司が好きなことは、なんとなく感じていたが、その理由を彼女は一撃で見抜いた。 自らは疑問に感じないことも、他者の眼には鮮やかに映り込む。
わたしの3歳のときの誕生日の写真を見て「これだよ。これ、これ。」
朝鮮戦争の停戦前のことだ。 食卓の中央に切られた巻き寿司が積み上げられ、その向こうにロウソクの灯されたケーキがあり、傍にわたしが立っている。
前菜、浸し豆二種。
第一皿。 稲荷と煮物。
第二皿、切らずの巻き物。
三浦屋の「揚巻/あげまき」さん、実在したのか、劇中の人物か知らないが、日本人の「粋」を具現化した「助六」の愛人。 まさに粋な名前を食文化に残した。 日本の歴史上、最も優れた「洒落」のひとつだと思う。
いなり寿司の油揚げから「揚」、巻き寿司から「巻」。 ここから、更に一捻りして「揚巻」の彼「助六」の名まで話を持って来るとは・・・。 先人は、いなり寿司と巻き寿司のセットに「助六」という名を与えた。 誰の仕業か分からぬが、「カッコイ〜!」。
「おぅ、助六。 今宵は節分、豆撒いてくんな」。