Photograph という言葉は、当然だがそんなに古いものではない。
写真術の誕生と関わるのだから、19世紀のことになるだろう。 この言葉を生んだ人を知っている。有名な天文学者(天王星を発見した)ウィリアム・ハーシェルの息子だ。
息子は、普通、ジョン・ハーシェルと呼ばれる。 (ハーシェル家の一族は凄い)
彼も天文学者となり、観測のために写真術を研究していた。 そして「フォトグラフ」という言葉を発明することになる。 音からいってギリシャ語由来の造語だろう。
photo は「光」で、graph は「記録するとか、そのための道具」くらいの意味と説明されることが多い。
さて、だとすれば・・・、例によって、日本人にとっての「和訳の災難」では?
「写真」という言葉はちょっと辛い。 これでは意味が偏り過ぎている。 この言葉によって日本人の感覚が、大きく世界と離れていったのではないだろうか。
これでは「真実を写す」もののように受け止めてしまう。 真実は、なかなか写せないものだ。 真実が写ることもあるだろうが、それを目指すという呪縛からは逃れたい。
記録能力は高いのだが、普通は「事実のほんの一面」が残せるくらいのことだ。
「真実」は遠い、「真理」はもっと遠い。
元の言葉から考えてゆくと、訳語としては「光画」くらいが妥当に思われる。 それを悔やんでも、今さら詮無いこと。 取り返せない過去は仕方ない。 けれど、わたしたちは写真を撮るときに、もっと単純に考えても良いのではないか。
迷信を葬って、「光で遊ぼう、光で絵を描こう」。
Stevie Ray Vaughan - Superstition
最後のシーンまで見ると、もう一回笑える「SRVのプロモーションビデオ」