友人が新しいカメラを買った。 そして、それを見せに、わざわざ足を運んでくれた。
デジタルカメラだがレンズの交換が出来る。 だが、一眼レフではない。 そんな狭いと
ころを狙った商品ではあるものの、需要は確かに存在するだろう。
オリンパスイメージング社の「マイクロフォーサーズ」という規格に沿った製品である。
なんといっても、その友人にとって最大の魅力となるのは、(想像だが)一眼レフでない
軽快さと、フィルムカメラで使っていたレンズ群に改めて光を通すことにある。
ファーストライト再び!、なのだ。
デジタル写真に批判もあるだろうが、写真の形が変わった、というよりは「増えた」と
考えたい。 アナログのレコード盤も健在ではあるけれど、それを遥かに越えて銀塩写真
は現役だと言える。 共存は難しくないと思う。
化学から電気になった。 バケガクからエレキ。 家電の範疇に入るデジカメもあるが、
このカメラの仕上がりは、それを連想させないし、冗談っぽく大げさに言うなら、そこに
付いたプライスタグが、それを許さない。 カメラよりレンズに付いたプライスタグが。
あまりに大まかな話で怒られそうだが、女性にとって宝石が魅力の「玉」だとする
ならば、ある種の男性にとってはレンズもまた「玉」となる。
望遠鏡や顕微鏡やカメラを使う人間にとっては「御神体」なのである。
そして、彼のシステム(新しいカメラと古いレンズ)のルネッサンスが始まる。
これを「銀塩カメラ」と「デジタルカメラ」が出会うひとつの形として祝福したい。
Musik
このレンズに縁の地は、ドイツ中央西部に位置するヘッセン州の「ヴェツラー」という街。
カメラとカメラの出会いと書いたが、この地は若い頃のゲーテがシャルロッテという娘に
出会った土地である。 こちらは祝福できる話か、そうでないのか、分からない。
その美しい娘には許嫁がいたのだが、彼は恋に落ちてしまう。 恋は成就しない。
このときの苦しみが、後に名作の誉れ高い「若きウェルテルの悩み」を生む。
ゲーテの詩にシューベルトは曲を付け、数々の名作を残した。
シュワルツコップの歌で「野ばら」。