いなりずし(おいなりさん)も、我が家の定番料理だ。
これ以上の「いなり寿司」には、生涯出会うことはないと思っている。
特に変わったものを作っているとは考えていないが、売っているものと違う。
先ず第一に、「甘くない」。 砂糖は使わない。
中のすし飯に具が入っている。 ちらし寿司風である。
油揚げは裏にして使うことが多い。
どんどんと、好みの方向に進んでゆき、現在の味と形になった。
完璧な(noriko作の)「のりこめし」として完成の域に入っている。
どうして、「売り物」は甘いのだろう。
砂糖菓子のようで歯が気持ち悪くなる。 砂糖の結晶が出来そうだ。
などなど、我が家ではトコトン評判が悪い。 でも、甘いものが売られている。
永久に続くのか、それを疑問に思う出来事をひとつ紹介する。
「サバの味噌煮」という缶詰があるのをご存知だろう。 いつ頃から見かけたか
もう分からないが、これが味が濃くて甘かった。 だから、ついつい無沙汰する。
10年以上の時が流れ、偶然に貰って食べたら、味が薄い、美味しくなってる!
やはり世の趨勢だ、変わらざるを得ないだろう、と勝手に溜飲を下げた。
ところが、「いなり」はしぶとい。手強い。勢力が衰えない。
最近、「駅弁の特集番組」を見ながら、我が家で話し合われた。
「稲荷」って、食事じゃなく「お菓子」なんだよ。
「ぼた餅」とか「おはぎ」と同様の解釈をすべきものじゃないのか。
確かに、それは言える。 そう考えれば、胸のつかえがひとつ消える。
どうでも良いから、そういうことにしておこう。
しかし、「ぼた餅」と「おはぎ」を混同するのは気分が悪い。
これは「牡丹」の花期と「萩」の花期から、その名がついている。
春の彼岸と秋の彼岸を表す洒落た話だ。
それについて今更、説明の必要などないと思う。
しかし、混乱するには理由がある、それらの花を連想しにくいのではないだろうか。
牡丹と萩を並列して比べるのは、意外に思える。
牡丹は大きく華やかで美しい、と受け入れられるだろう。 対して萩の風情が
与えてくれるものは、別次元のもので、対照しにくい。
春分と秋分、これを「上り坂」と「下り坂」に見立てれば、人生の有り様を
ここから感じ取れということなのか。
「教えてください、お稲荷様。」
Musik
「ジェネシス」の記念碑的アルバム「フォックストロット」から、
バッハの前奏曲をスティーヴ・ハケットの演奏で