7月7日「ノビル」に書いたように、ムカゴは歪(いびつ)な球状をしている。
ルネサンスの時代が終わると、次はバロックの時代。
バロックの語源については(語源を探せばいつものことだが)、これも諸説が存在
する。 有力なひとつは、ポルトガル語で歪な真珠を指す「barocco」だという。
まさにムカゴはバロックと呼ぶしかない形をしている。
現在でも、バロック真珠というものは売られており、それはそれで美しい。
ゴシックが蔑称であったように、バロックも侮蔑の言葉ということになる。
いつでも、そうなのだ。 時代が変わるとき、変わったときには、過去を否定し
侮辱することが珍しくない。 革命前の宣伝や、革命後の仕返しのようでもある。
人はいつでも自分のことを、正しく良いものだと言いたいものらしい。
過去を改革し、新しい世界を作ったことを、自らの存在の理由として。
次の時代には、バロックはゴテゴテして醜いものと判断されてしまう。
しかし、主に17世紀には、大きな「うねり」となってヨーロッパを覆っていった。
日本でいうなら、平安の貴族文化から鎌倉以降の武家文化への変遷の中に、
互いに通じるものを感じる。 そして流行には、揺り戻しがある。
ルネサンスの調和をバロックが破壊してゆく。 フランスの絶対王政も共に歩む。
イタリア対ドイツの音楽の闘いに、フランスが割り込んでくる。
音楽史的には、大まかに言うと、バロックの次は古典派の時代となる。
古典派という名称も、自分たちが名乗るとは思えない。
古典に回帰することを目指している人たちが、自らを「新古典派」を名乗ることは
あるかもしれないが。
次の世代が、それらを「古い音楽」として過去に追いやりたかったのだろう。
古典派の次は、ロマン派の時代。
「ロマン派の音楽」の元の言葉は、ロマンティックミュージック。
その言葉に違和感を感じるのは、あなたのように日本人だけかどうかは知らない。
現在の歴史は、次の時代の人間が書くわけだが、それはどんな人間か、つまり、
次の時代の「勝者」ということだ。 それはBRICsから出てくるのだろうか。
真珠は、自然の中で、何故あれほど綺麗な球に出来上がるのか、不思議だ。
バロッコの比率はどれくらいなのだろう。
いずれにせよ、天然物なら潜って探すしかない。
Musik David Gilmour - Je Crois Entendre Encore
あのピンクフロイドの、あのデイヴィッド・ギルモアだよ。