日本に暮らして不安になることは山ほどあるが、「言葉の頼りなさ」も
そのひとつではないだろうか。
世界中のどのくらいの人が「母語」や「母国語」に自信をもっているのか。
英語やフランス語を使う人たちだろうか。
前者は広く使われ、とりあえずの共通語として機能していると思う。
後者は噂に聞くだけだが、誇りを持って使われているらしい。
言葉が逆の意味に使われているように感じられると、落ち着かない。
60年頃、日本の若手建築家が「メタボリズム」というグループを結成した。
日本の現代建築を、このグループ、この言葉、を抜きには語れない。
そのままズバリ、単純に「新陳代謝」という意味である。
今、使われている意味は、「新陳代謝が出来ていない」という意味のようだ。
シンドロームが付くと、言葉が厄介になるのは理解できるが。
リストラは「リストラクチュア」だろう。再構築、再構成くらいの意味か。
どうしたって、勤めていた会社を解雇されることとは思えない。
たぶん、その会社が再構築するために、従業員数を減らす、結果的に
解雇された側から言うと「リストラされた」、ということになるのだろう。
これが一般的な使われ方に感じられる。
どちらも、現在使われている意味としては、消えてゆくと嬉しい。
肥満も減り、雇用も安定することが望まれる。
ただ、本来的には、人生に於いて、とても重要な言葉だと思える。
絶えず、自らを代謝させ自身を再構築し続ける。 こりゃ、大変だ。
厳しい目標、「メタボでリストラ」。 まるで、求道者のための言葉のよう。
凡人としては、こう叫ぶしかない。