わたしは縁あって公民館のサークルに参加している。
活動の内容は「western music」の歴史の研究や作品を鑑賞すること。
もっと言えば、メンバー間で、それらのちょっとした勉強の「きっかけ」を与え合う、
ということだろうか。それがサークルというものだと思う。
説明の必要はないかもしれないが、ここでいうところのウェスタン・ミュージックは
「西洋音楽」という意味になる。西部劇の音楽というわけではないし、アメリカ西部
地方に由来する音楽でもない。もちろん、それらも面白い分野だし、楽しめるものだ。
この「西洋音楽」は、たぶん「いわゆるクラシック音楽」ということになるだろう。
メンバー間でメールのやり取りをする、書き間違いを見つけることもある。
「カルロス・クライバーン」の指揮で・・・、とあったが、前後関係から、
これは有名な指揮者エーリッヒ・クライバーの息子で、これまた有名な指揮者
カルロス・クライバーのことだと分かる。
ところが、クライバーの話はそっちのけで「クライバーン」の話になった。
彼はいったいどうしているのか、元気で暮らしているのか、演奏は続けているのか。
それこそが「謎のクライバーン」の「その後の人生」への疑問なのだ。
彼はそのような興味を抱かせる「アメリカの(天才)ピアニスト」として記憶にある。
その後というのは、1958年、彼23歳、第三次世界大戦の恐怖から逃れられない時代、
東西対立の厳しいなかで、敵国に乗り込み「チャイコフスキー国際コンクール」で
ピアノ部門の優勝を勝ち取った「その後」、ということになる。
(このコンクールは、三大コンクールのひとつとして大変有名、権威もある。
しかもこの年が第一回目だった、当時のアメリカの喝采と興奮は想像できる。)
神童と呼ばれる時代があっても、時は容赦なく流れる。
「その時代」が過ぎた後の、大人になった天才たちの人生は、難しい。
今と違い当時は情報が少なかったせいかもしれないが、活躍の噂が伝わってこず、
残念ながら、彼を通してその問題を考えることが多かった。
今回、彼の名前を冠したピアノコンクールで日本人が優勝したそうだ。
問題のないコンクールなんて存在しない、優勝者はこのチャンスを活かしてほしい。
かつての天才が、その後も仕事をこなし、巨匠と呼ばれて、その名が冠せられたのなら
ヴァン・クライバーン氏の人生は祝福で満たされているだろうが、このコンクールの
詳しい事情をわたしは知らない。
彼はこのコンクールの審査員なのだろうか。
Musik
クライバーンはチャイコフスキーのピアノコンチェルト第1番で優勝したと思う。
彼の賞賛されるべき演奏で思い出すのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番。
その曲は「皇帝」と呼ばれている。