数十メートル先に赤い椿がある。 数メートル先に白いユキヤナギがある。
風が強かった、ユキヤナギは風に揺れてピントが合わない。
紅白の図ではあるけれど、これが目出度いという感覚が日本人にはある。
では、その理由は、と考えると誰も答えられない。
たぶん、知る限り、このような感覚を持つ民族は他にいないようだ。
この地球上で日本人だけが赤と白を祝儀、黒と白を不祝儀の感覚で捉えるとしたら、これは興味深いことだろう。
民族により国により、色に対する感覚はかなり違う。
その例が示されたものを見ると、どうやら社会的、後天的に慣習として思い込まされてると考えざるを得ない。 あまりにその方向性が違うからである。 タブーの裏返しのようなもの、だから根拠は無い。
だから、ここで覚えておくのは、
「色に対するイメージは民族や国で違うということ」。
人が最初に目に感じるものは明暗だろう。 シロからクロの区別ではないだろうか。
明るいと暗い。 暗い所では視細胞のうちで錐体細胞が働かないことは経験的に分かっていること。 そこでは感度は高いが色相を判断しない桿体細胞のみが働く。
昔の言い方なら、ISO800のモノクロフィルムと、ISO50のカラーフィルムを使い分けるようなことだろうか。
では、色の感覚を獲得したのはいつ頃なのか。 シロとクロの次に人類が認識した色は何だろう。 YMCかRGBか、想像することしか出来ない。
そして時間を掛けて、色と人の心情が響き合ってきたのだろう。