家がボロくて、ピンチである。 壊れる前に写真でも、といっても、あまり盛り上がらないのだけれど。 撮り続けている。
でも、家の写真というのがどこまでの範囲をいうのか、それは難しい。
構造体だけに限定するのは、そこでの生活者にとっては違和感がある。 内装や家財と一緒になって暮らしているのだから。 カメラは家ではないだろうけれど、パソコンはそれより少し家に近い気がする。 家に立脚した生活の場、そのメモだと考えている。
だから、庭の木は家に含まれるか、というと、それはあるときには家の一部であり、そうでないときもあるだろう、そんな曖昧さを言いたいのである。
1枚目は、バスルームのドア。 アラタクールハンド氏の「FLAT HOUSE LIFE」で、なんと、まるで「ジャスパー・ジョーンズ」と紹介されたところ。
それはいくらなんでも「言い過ぎ・褒め過ぎ・片腹痛し」なのだ。 塗料が剥げかかっているだけに過ぎない。
バスルームの床のタイル模様。 こんなに綺麗なものではない。 ピントなんか合わせられない(笑)
天井の様子、漆喰の上にペイント。 剥がれ落ちている。
タイルと木部の塗装が剥げてるところ
壁。 これは近所に住んでいた友人に塗って貰った。 当時、彼の方がその作業の専門家だったのだと思う。
部屋のドア。 フラッシュ構造の安物。
食卓用の照明、昔作ったもの。
昨日のお客さんにも、素敵な家だと言われた。 それはそれとして、彼のブログにある「彼の家」も大変素晴らしく見える。 でも、住み心地は良くないという、それってお互い様なんだと思う。 我が家も、白川郷の古民家に住んでいるような気分、文化遺産を住みながら護っているようなものだ。
彼の家はリフォームなど出来ないのかと、大きなお世話で、考えてしまう。