西に傾いた太陽に向いている、光が羽根を透かして見える。
羽根に張りがない、傷もあるようだ。
カメラを取って戻っても、まだ同じ場所にいた。
あまり近づくと脅かしてしまいそう。
蝶の一生は、蝶の姿のときだけなのだろうか、その考えはおかしいような気もする。
だとすれば、短い命というのでもなさそうだが、人の尺度を当て嵌めることには意味がない。
人は、自分たちの基準でモノを見たがる。
「80年生きてきたけど、こんな大雨は見たことがありません」
でも、それは地球には、あまりに短い時間。
昔は(歳を取ると簡単に「昔は」と言う。 ところが昔っていつだ、ということになる。 確かにもっともな意見。 その指摘は正しい。)、考えてみると30年以上前だが、「螺鈿/らでん」には「黒蝶貝」をよく使った。 薄くするのが大変だったが、ノコで切るのは、それほどストレスはなかった。 その形に合わせて黒檀などの木を彫って埋める。
もちろん「白蝶貝」も綺麗。 もちろん「鮑」も申し分ない。
この黒い蝶を見ていたら、そんな「昔」を思い出した。
わたしの30年と、若い女性の半年は、どちらが永く感じられるものか分からない。
この蝶はもうじき死ぬのだろう。 飛べるのならどこへでも。
飛んでいきたい男の映画だった。
胸に「蝶の刺青」をした彼は、断崖から自由に向かって飛び立った。