坂口安吾(1906~1955)の「桜の森の満開の下」には「桜」は恐ろしい存在としても描かれる。 桜に限らず、花を見て怖くなることがある。 花を美しく可愛いとだけ感じられる人もいるらしいことは、自分からみれば不思議にして羨ましいことだ。
花見の歴史は古いらしい。 この場合、昔はどの花を見て慈しんだのか分からないが、「桜の花見」は平安時代に遡るとのこと。 しかし、庶民の間に広く楽しまれたのかどうか、それは分からない。
秀吉の「醍醐の花見」が有名だが、宴として庶民の楽しみとなり、定着したのは江戸時代の中期という。
ソメイヨシノの歴史は150年ほどのことらしい。 特になにかが優れているとは思えないのだが、桜としての全てが、素晴らしいバランスで成立している花ではないだろうか。 葉が出る前に花を咲かせる(姥桜・乳母桜の)突然性、短い花期に咲き誇り、一気に散る姿、それらの物語のオーソドキシーを見事に体現している。
戦後に全国で植樹され日本中に桜の名所ができたが、それらの寿命が近づいているらしい。 これはひとつの好機かもしれない。 もしかすると、わたしたちはソメイヨシノを偏愛し過ぎているのではないかと心配になる。 桜には他にも沢山の種類があるという。 それらも見てみたいと思うのだが。 これらは桜だろうか、八重咲きだった。
Musik クレモンティーヌの歌で「アクジョ」