英語で言うナースィーサスとダファディルはどう違うのだろうか。 ダファディルはこどもの頃、歌の歌詞で聞いた。 「七つの水仙」という歌だ。 この歌の冒頭の歌詞で「マンション」という言葉を覚えた。 もちろん、本来の「邸宅、屋敷」という意味として。
だから、この国の集合住宅や、そのひとつの居住区画をマンションと呼ぶのは、どうにも落ち着かない。 英語遣いに聞かれたくない言葉だ。 わたしたちは日本のカタカナ語として解釈しよう。
歌は、「広い土地も立派な屋敷も持てないかもしれないけれど・・・」と始まり、その後の展開はご想像の通りで、「でも、七つの水仙を君に見せることができるよ」みたいなことで終わる。
現代の若い黒人女性の勇ましい歌などと比べると、時代の意識の変化に驚く、大きく様変わりした。 兎も角も、そのときそのときの世相を反映したものには違いない。
これは八重咲き
庭に咲いたもの 1枚目の写真と花の形が違う
毎年、数本の水仙がハナニラに囲まれて咲く
さて、春の訪れを知らせる水仙が咲けば、ワーズ・ワースの詩を思い出す人も多いと思う。 自分にとって、これほど心の糧になる風景の記憶とはなんだろう、と考える。
にわかに思い出せないけれど、それを確固として持っている人は、幸いだと思う。